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先日、司馬遼太郎さん著の「アメリカ素描」を読んだ。
司馬さんは私の好きな作家の中の一人なのであるが、今まで小説以外は読んだことがなく興味深く読んだ。

「労働力という“商品”」
この項は、その著怒りの葡萄で有名なスタインベックについての記述である。
ここには、「アメリカの小説というのは、まず文章がいい。・・・ともかくも、この国の小説は、リンゴを丸かじりするように、前歯を現実という果肉に突きさし、皮ぐるみ、つまりはコトバぐるみ、その咀嚼の快感まで言語化して食ってしまう。」とある。
さらに「彼の右の作品は、1930年前後、自分の利益のためには弱者が死のうと生きようと勝手だという資本のエゴイズムと非人間性を、アメリカ以外ではあらわれにくい筋肉的なタッチで露呈してみせた。・・・」と書かれている。
新しい国家での文化が、ヨーロッパやアジアの先進の文化国が、積み重ねられてきた文化の上に立っているのとは異なって、過去の文化とは切り離された斬新な文化を作り上げていく勢いのようなものがあって、司馬さんは、その傍若無人にさえ思えるところに魅力を感じたのだと思う。
「スタインベックは生涯アメリカ人とはなにかということを追求しつづけた作家だった。・・・サリスナ(スタインベックの故郷)での少年時代、土地の日本人をやっつけるための少年団をつくっていたという。」ともあって、その少年時代の彼の経験から彼の生き方を考えると納得できるような気がしてくる。

「河畔の盛衰」
この河畔の川とはフィラデルフィア市を流れるデラウェア川のことである。嘗ては造船と造機で賑わっていたこの川をながめて「・・・それらはもはや遺跡でしかない。となると、歴史は発展するものではなく、陰のように流転してゆくものではないかという儚さを感じずにいられない。」とある。
その地域社会そのものの存在が問われる社会のあり方の根本に言及したとも思えるこの一文には含蓄深いものがある。保存を無視して利益を優先した社会の経営は、いずれその存立を根底から覆されることになるのではないだろうか。

「明治の心」
この項には、ポーツマスの町で「ポーツマス条約」について司馬さんが考えたことが記述されている。
明治38年9月5日日比谷公園ではポーツマス条約に反対する群集が警察隊と大乱闘になり、軍隊の出動によって鎮圧されるという事件が発生した。このことに対して司馬さんは「私は、この理不尽で、滑稽で、憎むべき熱気のなかから、その後の日本の押しこみ強盗のような帝国主義が、まるまるとした赤ん坊のように誕生したと思っている。」と述べている。そして、「昭和前期を主導した軍人たちは、そういう(中世の情念を教え込む)教育をうけた擬似中世人たちで、同じ軍人でも、かれらの先人である明治期の大山巌や児玉源太郎たちからみれば、似もつかぬ古怪な存在になっていた。」明言されているが、それには成るほどと納得させられてしまうものがある。
さらに、ポーツマスの町のあるニューハンプシャー州には、日本慈善基金が設立されているとある。これは、ポーツマス会議の終了後、小村寿太郎が、会場を提供した州に当時一万ドルを寄付したことがそもそもの始まりである。その三日後、そのことを知ったロシアも慌てて同額を寄付したために、当初は「露日基金」と名づけられていたそうである。同州知事は、この資金を日露の国債に投資したが、間もなくロシアは革命によりロシアは債務不履行となり、日本は日米開戦による9年間は利息の支払いが停止されはしたものの、その後9年間倍額の利息を支払い、そのまま継続したために1963年にこの名称にされたとある。
私は、恥ずかしいことだがこの事実を全く知らなかったが、小村寿太郎と言う人の人柄を知って、また、戦争の拘りを捨てた日本の律儀な行いに嬉しさのようなものを感じるのである。

またまた、司馬さんに良い勉強をさせて貰ったと思う。感謝。